【地獄のリングス前田道場卒業生】滑川康仁ロングインタビュー

リングスジャパンの新弟子を経てプロデビューした人間はこの世で7人しかいない――。そのうちの一人滑川康仁は前田道場プロテスト最後の合格者でもある。同団体休止後はDEEPやPRIDEなどで活躍し、柴田勝頼戦を最後にリングから離れている滑川さんにリングスというあまりにも濃すぎる場を語ってもらった。




――滑川さんは現在柔道整復師をやられてるんですよね。


滑川 いま院長をやってるんですよ(笑)。


――あ、そうなんですか。


滑川 責任のある立場なので、昨日も朝出勤して泊まりこみで事務の仕事をやっていたので帰ってきたのは今日の13時ですから。昔は運動してお金をもらっていたのに、いまは全然違うことやってるなって(笑)。


――もう格闘技からは完全に離れてるんですか?


滑川 今年の4月まで月1回、パンクラスの湘南道場に通っていたんですよ。昔から親交のある伊藤(崇文)さんや渡辺(大介)さんといろいろ格闘技の練習を。気分転換といったら失礼ですけど(笑)、たまには寝技をやらないとなって。


――滑川さんは引退試合なりの区切りはつけていなですよね。


滑川 ボクが復活するならチケットを1000枚売ると言ってくれる方がいまして。1000枚売れるんなら興行ができるなって(笑)。


――1000枚保証なら名乗り上げるイベントは続々ですよ(笑)。それで今日は滑川さんの格闘技人生を振り返りたいんですが、格闘家になろうとしたきっかけは?


滑川 正直言うと、暇だったから。
 

――暇だから!?(笑)。高校時代はラクビー部だったんですよね?


滑川 ラクビー部だったんですけど、定位置がラクビーコートの枠外で、みんなのプレイを見てるという(笑)。なぜかというと骨折を4回もやりまして。


――ああ、ラクビーってハードですもんね。


滑川 ハードですね。格闘技より危ないです。ボクの父は学校の教員だったので、小さい頃から「大学だけは行きなさい」と言われてたんです。ボクが生まれた昭和49年はベビーブームの頂点ごろで、子供がたくさんいたし、馬鹿すぎたとこもあって大学に入れなかったんです(笑)。それで浪人生活を送ってたんですけど、そのときに母が勧めてくれたんですよね。


――何をですか?


滑川 プロレスラーになることを。


――なんですか、それは!?(笑)。


滑川 実話なんですけどね(笑)。


――お母さんはプロレス好きだったんですか?


滑川 いや、ボクがプロレスファンだったんです。19歳の春に母親に勧められて、その気になって父に打ち明けたんですけど、父親も大のプロレスファンで「おまえがプロレスラーになれるのは天文学的数字で、何万分の1だ」と。教員のせいなのか確率でものを考えてしまうところがあったんですけど、そのときボクが思ったのは確率は努力次第でなんとかなるんじゃないかって。それで自主的に練習してみたんですけど、キツくてすぐやめちゃったんですよ(笑)。


――お父さんの言うとおりですね(笑)。


滑川 プロレスラーになりたい気持ちだけはあったんですけどね。これじゃどうしようもないと思って上京して、浅草のアニマル浜口ジムに通うとことにしたんですよ。そういう環境の中で練習するしかないと思ってジムには入ったはいいけど、練習は強制じゃない。あんまりジムに通わなかったんですよね(笑)。


――どんなプロレスラー志望ですか(笑)。


滑川 田舎育ちなので、東京という街が凄く面白くて。アルバイトしてたんですけど、そこで得るお金が大きかったんですよね。しかも親に甘やかされていたので仕送りまでしてもらっていたので(笑)。


――厳しい練習なんかやってらんないですね(笑)。


滑川 最初の頃はちゃんと通ってたんですけどね。週1回に浜口道場というのがありまして、寝技、グラップリングの合同スパーリングをやるんですね。ボクはそこに参加できる体力はなかったんです。アニマル浜口ジム1年9ヵ月の在籍期間で週1回の合同スパーリングに参加できたのは10回もないです(笑)。


――ちなみにどこの団体に入ろうとしてたんですか?


滑川 父に相談したときはUWFインターナショナル。父もUWFが大好きで「ああ、高田延彦のところだな」って高田さんの若手時代を説明してくれて。


――お父さん、かなりのプロレスファンだったんですね。


滑川 前田さんは新日本からUWFに移ってテレビに出なくなったじゃないですか。そのとき父は「いま前田は本気のプロレスをやっている」と。それを聞いて鳥肌がバーッと立って。その頃テレビでUWFがやったときがあったんですよ。試合前のリングでカール・ゴッチさんと前田さんたちが練習してて。当時は前田さんを「前田」って呼び捨てだったんですけど(笑)、「前田凄いな!! これが本気のプロレスなんだ!」って感動しましたねぇ。


――滑川さんが通っていた頃の浜口ジムには誰がいたんですか?


滑川 いま活躍してるのは本間(朋晃)やSUWA、引退しましたけど井上(亘)さんですね。ボクがあんまり練習しないからSUWAに説教されましたけど(笑)。


――ハハハハハハハハ。


滑川 アイツ、説教好きなキャラじゃないですか。SUWAは当時からあのまんまのキャラなんですよ。だから距離を置いたほうがいいかなって(笑)。


――プロレスラーを目指すならまっとうな姿勢ですよ!(笑)。


滑川 で、浜口ジムと並行してボクは新小岩のラクビークラブに入ったんですよ。そんときもSUWAに「そっちの方面に行くんですか〜?」とか嫌味を言われて。


――そりゃあ嫌味の一つも言いますね(笑)。


滑川 憎たらしいんですよ、アイツの言い方。まあ、ラクビークラブも数回しか行ってなくて、リングスでプロデビューしたあとも応援してくれる関係性は保ってたんですけど。


――しかし、そんな感じでよくリングスに入れましたねぇ。


滑川 第1回アマチュアリングスに出たいって当時の道場長のマッハ純二さんに言ったんですよ。あんまり練習していないんですけど、ジムのフリースパーリングでは極められることなかったし。1回戦はスポーツ会館のサンボの選手で。ボクなんてプロレスファンなだけですから、極められて終わっちゃうと思ったんですけど、試合時間残り20秒くらいまでボクがポイントで勝ってたんですよ。


――滑川さん、ナチュラルに強かったんですね。


滑川 アキレス腱固めのかたちでカカトを捻られて大怪我をしてレフェリーストップで負けっちゃったんですよ。ヒールホールドは反則なんですけど、カカトをちゃんとフックしてないからヒールホールドではないという。その負けから猛練習するようになったんですね。


――敗戦がきっかけになったんですね。


滑川 リングスに入ってすぐにその技がヒールホールドかどうか田村さんに検証していただいたんですけど、これはヒールホールドだという答えをいただいたんで自分の中だけでは反則で負けだと消化しています(笑)。


――田村さんが言うなら問題ないです(笑)。


滑川 でも、あの試合がなかったらプロになってないかもしれないです。それからバイトも減らして、朝と夜にスクワットも1000回ずつやって、ブリッジが苦手だったんですけど、猛練習してできるようになって。「これでリングスのテストは大丈夫だ」って思えるレベルになって。


――リングスに照準を絞ってたんですか?


滑川 はい。上京する前はUインターで、上京したあとはパンクラスだったんですけど。パンクラスだとご飯をたくさん食べられないイメージがあって。みんな凄く身体を絞るじゃないですか。暴食ができない(笑)。


――ご飯はいっぱい食べたかった、と。


滑川 お酒を飲まないから暴飲はいいんですけど。あとパンクラスだと、お金がそんなに稼げなさそうだなあ……と(笑)。


――「ご飯が食べられない」のダブルミーニング!(笑)。


滑川 それにリングスだったら若手は少ないからチャンスがあるかなあって。


――パンクラスは若手ばかりですもんね。


滑川 坂田(亘)さん、高阪(剛)さんが一番若くてキャリア2〜3年じゃないですか。これはチャンスだと思ったんですけど……。


――若手がいないことが結果的に地獄になるわけですよね(笑)。


滑川 ハハハハハハハハ! 坂田さんはアニマル浜口ジム出身じゃないですか。ボクがリングス志望ということを関係者づてに聞いていたと思うんですよ。ボクは夏までにテストを受けるつもりだったんですけど、SUWAがボクの1ヵ月前にリングスのテストを受けたんです。SUWAは体力があるし、絶対に受かると思ったんですけど、落とされて帰ってきたんですよね。それが凄い衝撃で……。


――「あのSUWAが落ちるんだ!?」って。


滑川 SUWAは身体もできているし、練習も完璧にできてるのに落ちるんだって……。それくらいテストのレベルが高いってことじゃないですか。当時はインディ団体がたくさんできていたんですけど、大きな団体のテストはなかなか受からないんです。新日本なんて毎年浪人していた人もいたし、誰かが受かったらジム全体でお祝いしたくらい高い壁があったんですよ。


――前田さんは新日本出身ですから必然的にリングスのハードルも高くなりますよね。


滑川 SUWAが落ちるなら俺も無理だろって思ったし、テストから帰ってきたSUWAは何日も足を引きづってるんですよ。これはヤバイなと思って。


――何をやらされたんですか、いったい……。


滑川 ボクはSUWAのことは苦手だったんですけど、リングスでSUWAの後輩になる覚悟ができてたんですよ。ボクもテストに受かってSUWAの後輩になると。


――口うるさいけど、覚悟はできていた(笑)。


滑川 だいぶあとからSUWAが何かの媒体で「滑川が受かったからリングスはいいや」と言っていたのを聞いたんですよ。その時点でリングスへの愛情はボクのほうが上なんですよ(笑)。ボクはSUWAの後輩になる覚悟があったんですけど、SUWAはボクの後輩になる覚悟はなかった。


――なんだか面白い関係ですね(笑)。


滑川 で、ボクは9月3日にテストを受けることが決まったんですけど、その6日前に◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯になちゃって。首から背中まで損傷しちゃったんですよね。


――そんな重傷だとテストは延期したんですか?


滑川 いや、なんとか6日後に受けたんですよね。気合十分だったんで。


――そんな状態で受けたんですか!(笑)。気合いで乗り切るのはアニマル浜口イズムですけど。


滑川 病院や接骨院で診てもらっても通院が必要だって言われたんですけど……。テストのときはヤバかったんです。本当にヤバかったです。


――交通事故に遭ったばかりですからね(笑)。


滑川 テンションを上げまくってやりきるしかないなって。あのときは5人受けて、そのうちボクともうひとりが合格レベルに達していて。残りの3人は素人であまりにも情けないから、ボクはその3人を怒鳴りながらテストを受けてましたからね(笑)。


――ハハハハハハハハ! 


滑川 スクワットなんてすぐ終わっちゃって休憩しながら野次を飛ばして。試験官よりも怒ってましたから(笑)。


――どんな現場なんですか!(笑)。試験官は誰だったんですか?


滑川 高阪さんと長井(満也)さん。前田さんと田村(潔司)さん以外は全員揃ってたかな。ずっと黙っていた成瀬(昌由)さんが途中で「おまえ、名前はなんて言うんだ?」って聞いてきたので、ボクのブチギレアピールが効いたのかもしれません(笑)。


――テストメニューはおぼえてますか?


滑川 スクワット500回を何分でできるか。それをボクは11分でできたんですよ。テスト全体の記録は過去でもトップクラスだったらしくて。でも、ブリッジは首と背中をケガしていたこともあるし、最後のメニューだったのでそこだけテンションが下がっちゃって。得意のハイブリッジができなかったんですよね。


――滑川さんがケガしていることをリングス側は知ってたんですか?


滑川 知らせてないです。入門してから「伝えてくれたほうがよかった」って言われましたけど。何か事故があったら大変だってことで。


――その場で合格は伝えられたんですか?


滑川 いや、何日か経ってから浜口ジムに連絡があって。9月3日にテストを受けて16日に入門したんですけど、それも坂田さんが首のケガを気を遣ってくださって日にちを伸ばしてくれたんです。坂田さんはすぐにでも使いっぱしりがほしかったみたいですけど(笑)。


――新弟子がいなかったんですね(笑)。


滑川 高阪さんもテストを受けた全員に「合格したらすぐに入れるか?」って聞いていたんで。それでも完全に治さないで入門して無理したから、いまでも首に後遺症を残ってますね。先輩方はブリッジはやらなくていいとか気を遣ってくれたんですけど。


――新弟子生活は過酷でした?


滑川 道場の近くに産業廃棄物の会社があって、目の前をトラックがよく通るんですよ。そのタイヤを眺めながら「……巻き込まれてグジャグジャになりたいなあ」って考えるくらいつらくて……(笑)。


――ハハハハハハハハ!


滑川 首が痛いし、練習はキツイし、、雑用は山のようだし、合宿所は猫の毛だらけで。坂田さんが過去に猫を飼っていたんですけど、ボクはアレルギー持ちだったんで初日から呼吸困難に陥って。


――呼吸困難になるほどの猫の毛って(笑)。


滑川 あまりにも猫の毛が凄いから入門当日の夜は風呂の浴槽に体育座りで過ごして(笑)。坂田さん、そのときはもう寮にはいなかったんですけどね。寮には高阪さんと山本(宜久)さんが住んでいて、坂田さんの部屋も一応あったんですけど、ずっと帰ってきませんでしたね。


――当時から自由に生きてたんですね(笑)。


滑川 翌日寝不足のままランニングしながらやめるタイミングを考えてましたね。練習の厳しさの噂は聞いていたんですけど、想像以上で。その月に札幌大会があったんですけど、羽田空港から飛行機に乗るじゃないですか。「……墜ちろ、墜ちろ」って念じてましたから(笑)。


――ハハハハハハハハ!そうなったら日本格闘技界の大損失ですよ(笑)。


滑川 無事に札幌に着いちゃたんですけど。普通に降りるじゃないですか。搭乗口から遠い座席だったんですけど「なんで新弟子があとからノコノコ出てくるんだ?」って凄く怒られて。理由は聞いてくれたんですけど、新弟子は着陸したらすぐに乗客をかき分けて搭乗口に走らないとダメみたいで(笑)。


――危ないですよ!(笑)。


滑川 夜の打ち上げも食え飲めの世界じゃないですか。自分は食べる自信があったんですけど、高阪さんと比べると低レベル過ぎましたねぇ。高阪さんがとにかく大食いで。


――ちゃんこのノルマはどれくらいですか?


滑川 ノルマはメシが5杯、ちゃんこが5杯ですね。


――気が遠くなりそう(笑)。


滑川 高阪さんや坂田さんの時代は夕飯は夜遅かったらしいんですよ。自分のときは19時だったんです。昼の1時か2時くらいに5杯+5杯食べて、夜7時に夕飯だとインターバルが短すぎて食べれないですよ(笑)。「いま何杯だ?」って聞かれてまだ2杯なのに4杯だとか嘘ついたりとか、ドンブリは2種類あったんですけど、小さいほうを選んだりして乗り切りましたね(笑)。


――練習も過酷だったんですよね?


滑川 練習でもベンチに足をかけて腕立て100回5セットとか言われるんですけど、そんなのボクができるわけないじゃないですか。それに途中で潰れるとイチからやり直しになるんですよね。山本さんがチェックしてるんですけど、トイレに行ってるあいだに数をごましたりしてましたね(笑)。


――山本さん、厳しそうですよね。


滑川 厳しいですよ……。


――山本さんが高田道場のときにリングス時代のノリで一般会員を指導したら、翌週から人数が半分になったとか。


滑川 その感覚と一般社会との間には壁がありますよね。リングスの常識は世間では通用しないし、ボクはそこの葛藤といまでも戦ってますよ。


――リングス前田道場の常識が染み付いている(笑)。


滑川 ボクは世間を知らずにリングスに入ったからギャップが……だから山本さんの気持ちはわかるんですよね。高阪さんは世間を知ってから入ってきてるし、坂田さんや成瀬さんは生き方が上手ですけど、自分と山本さんは系統は同じじゃないですか(笑)。


――ですね(笑)。


滑川 ボクはいまは客商売が長いのでだんだんと調整ができているんですけど。


――リングスって入門してもプロテストをクリアしないとデビューできないんですよね?


滑川 そうなんですよね。そのプロテストがもの凄くキツくて、それが嫌で入門しても途中でやめちゃう人もいるんですよ。


――新弟子生活で鍛えられてるのにやめちゃうって……。


滑川 高阪さん、坂田さんのプロテストのときは2人の熱と汗でリング上から湯気が上がったそうですから。坂田さん、そのプロテストがきかっけでヘルニアになったくらいですからねぇ。


――デビュー前にぶっ壊れるって……。


滑川 リングス生え抜きの先輩の4人中3人はヘルニアでしたからね。高阪さんだけなんですよね、無事だったの。長井さんも「俺のときはにプロテストがあったらやめている」というくらい苛酷さですからね。自分もプロテストが嫌で何回も夜逃げしようとしましたね。


――いったいどんな内容なんですか!(笑)。


滑川 基本は入門テストと同じメニューがどれだけ伸びてるか。もう過酷ですよ。タイムも伸ばさないといけないですし。それにプラス、タックルと受け身をエンドレスですね。前田さんが「いい」と言うまで受け身を取り続ける。


――そりゃあヘルニアにもなりますね……。合格基準はなんですか?


滑川 前田さんの感覚ですね。先輩方は「かならず一度目は落とされるぞ」と言ってました。ボクはデビューまで1年9ヵ月かかったんですけど、入門して11ヵ月で長井さんから「おまえはもうやれるから、今度の武道館で前田さんにプロテストをお願いしてこい」と言われて。もう言いに行くのがイヤでイヤで……。前田さんに言いに行ったら「ダメだダメだ」ってあっさりダメ出しされて相手にされなくて。凄くホッとしたんですけど(笑)。


――プロテストを受けたくない新弟子(笑)。


滑川 結局、自分はプロテストをやらずにデビューが決まったんですよ。「あ、やらなくていいんだ」と安心していたら、試合前日の練習が終わった直後に前田さんが道場が来られて「いまからプロテスやるぞ!」と。


――プロデビュー前日、練習直後にプロテスト!!(笑)。
 

滑川 普通のプロテストよりはハードではなかったんですけど(笑)。それでも全身筋肉痛になっちゃって。


――それなのに全身筋肉痛って(笑)。


滑川 筋肉痛のままデビュー戦でしたね。


――しかもデビュー戦は高田道場との対抗戦じゃないですか。あの当時の対抗戦は重みが違いますよねぇ。


滑川 絶対に勝てると思ったので引き分けという結果に失望しましたねぇ。もう自分がイヤになりました。そんな目に遭ってるので後輩がプロテストで苦しんでるところをいつかは見てみたいと思うようになったんですけど(笑)。

 

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