【無我17000字】西村修ロングインタビュー「独裁者・長州力に逆らうってエネルギーが必要なんです」

無我の伝道師、西村修ロングインタビュー。ハイスパートレスリングが主流となっていた現代プロレスに背を向けて、プロレス本来の姿を追求していた男のファンティングロードは、90年代の天下人であった長州力に歯向かい続けた歴史でもあった。現在は文京区議会議員としても活動を続ける西村先生のありがたいお話に耳を傾けてみよう。新日本プロレス新弟子時代のズンドコエピソードも満載の17000字ロングインタビュー!
 

 

――かつてのプロレス界は「ぶっ潰すぞ!」「コノヤロー!」系の煽りアピールが主流でしたが、西村さんはほかのプロレスラーとは一味違った語彙センスをお持ちでしたね。マイクアピールが聞き逃せなくて(笑)。
 

西村 それはみんなが「バカヤロー!」ばっかりだったので、わざわざ変えたんですよ(ニッコリ)。


――やっぱりそうだったんですか。


西村 あの頃はレスリングスタイルからしてみんな“長州力スタイル”を押し付けられていたわけですよね。


――当時の新日本のレスラーって髪型も長州さんっぽかったですね(笑)。


西村 ハハハハハハ! 後ろ髪だけ伸ばすヘアスタイルですね。
 

――まさか髪型も押し付けられていたんですか?


西村 さすがにそれはないですけど。みーんな長州力のイエスマンでしたから。


――西村さんは当時から長州さんを「独裁主義者」として徹底的に批判されてましたね(笑)。今日はそんな西村さんのプロレスラー人生を振り返りたいんですが、もともとは新日本プロレス学校の出身なんですよね。


西村 そうなんですよ。新日本プロレス学校が88年にオープンしてすぐの入学ですよ。誰でも入れるんですよね、会費を払えば。


――会費はおいくらなんですか?
 

西村 月15000円。普通のスポーツジムと比べるとちょっと高いですけどね。私は高校時代のときから通っていたんですけど、営業時間は15時から20時までやっていて。平日の18時から20時までは小鉄さんが指導するプロ養成コースがあるんです。会員が全員そこに参加するわけじゃないんですよ。道場の施設を使って自分なりにトレーニングする方もいて。


――スポーツジム代わりに利用するわけですね。


西村 そうです。週末になると名古屋や浜松から通ってる方もいましたし、会員自体は100名くらい。プロ養成コースは多いときは20名くらいですね。


――プロ養成コースに参加しなくても、新日本道場の雰囲気には触れたい方がいたんですね。


西村 プロレス学校に通っていてのちにプロレスラーになったのは、ザ・グレート・サスケ、中嶋半蔵、浅子(覚)、池田大輔、金原(弘光)、新山勝利、三澤(威)トレーナー……。


――天山(広吉)さんは?


西村 天山は最後のほうなんですよ。
 

――サスケさんとは最近でも宇宙大戦争で対決されたりして息の長い付き合いなんですねぇ。
 

西村 あれはですね、会場に行ってから何をやるか知ったんですよ(笑)。


――ええっ!? さすが宇宙大戦争!(笑)。


西村 私も貴重な経験をさせていただきましたけど(笑)。まあ、プロレス学校は凄くありがたい場所でしたよね。当時はアニマル浜口さんのジム、栗栖正伸さんのジムがあったくらいですし。プロ養成コースはスクワット、ブリッジや受け身やら、基礎以前の基礎を教えてもらうんです。それは本当にためになりました。それに本物のリングを使って練習ができるし、基本的に小鉄さんが指導するんですけど、いろんな選手が臨時コーチとして指導することもあって。たーまに鈴木みのるがやってきて、スパーリングが好きな連中を集めてグチャグチャにしてましたけど(笑)。


――ハハハハハハ! プロレス学校の時間のあいだでも、新日本のレスラーたちが練習したりするんですか?


西村 新日本の合同練習はプロレス学校が始まる15時までには終わってしまうんですよ。それにあのときジャパン女子も新日本の道場を使ってましてね。


――ああ、小鉄さんが教えてましたね。


西村 ジャパン女子は最初は江戸川橋のほうに道場があって(グラン)浜田さんが教えてたんですけど、そこがなくなったあとは新日本の道場を13時から15時まで借りてたんですよね。だから大変ですよ。新日本の選手はジャパン女子とプロレス学校が終わった20時以降しか個人的な練習ができないから。選手にとっちゃ邪魔な存在ですよね。
 

――そんな雰囲気はあったんですか?


西村 邪魔者扱いの目線はありました。プロレス学校なんてお構いなしにマサ(斎藤)さんは来てましたけど(笑)。こっちは見て見ぬふりをするしかないですよ。海賊みたいな身体をしてトレーニングしてるわけですから。時には長州さん、小林邦昭さんと一緒に来たり。本当にたまに猪木さんや藤波さんも来たりして。でも、恐れ多くて近寄れないですよねぇ。


――プロレス学校に通っていると、新日本の入門テストを通りやすくなったりするんですか?


西村 いや、全然関係ないです。身長は180センチ、体重は70キロ以上の基準があって、有利なることはないですよ。私が受けたときは150人くらいの応募があったらしくて、そこから書類選考で50人くらいに絞られて。入門テストで50人が20人になって、六本木のテレビ朝日で最終面接があったんです。


――そこからまた面接でふるいにかけるんですね。



西村 「お父さんは何をやってるのか?」とか一般的なことを聞かれるんですよ(笑)。実際に会ってみなきゃわからないところもあるじゃないですか。

それで20名のうち、私を含む5名が受かったんです。そのうち1人がオヤジが倒れたかなんかで入門できなくなって4人に。天山ともうひとりが3月に入門したんですけど、ついていけなくて3日でやめちゃったんです。私は高校卒業して4月2日から入門、その前日の4月1日には小原(道由)が入って。


――5人のはずがもう2人しかいない!(笑)。


西村 そうなんですよ(笑)。


――新弟子生活は相当キツかったんですよね?


西村 いやあ……大変ですよ。一番キツイのは練習なんですけど、24時間体制で雑用しなくちゃいけないし、身体を大きくするために最低でもラーメンどんぶり大盛2〜3杯は食べないといけない。すべての面で厳しいんです。ホッと一息つけるするのがトイレと風呂、目を閉じて寝るまでのあいだだけ。


――寝てるあいだは……。


西村 いやあ、目が覚めたらシゴキが待ってるわけですからねぇ。


――目覚めたくないわけですね(笑)。


西村 何をされるのかわからないからドキドキするわけですよ。スクワット何千回やらされるのかもわからないですし。逆に何もかもわからないからいけちゃうところもあるんですけどね。


――小原さんは国士舘大学柔道部出身でバリバリの体育系ですから、シゴキには慣れたもんだったんですかね?


西村 たしかに小原の場合は大学でシゴキを経験したかもしれないですけど、4年生から練習生という立場になるじゃないですか。それはそれでキツイかもしれないですよ。


――なるほど。神様から奴隷に戻るわけですもんね。


西村 でも、小原は私より二段階も三段階も大人でしたね。日に日に練習がキツくなっていくんですけど、「ようやく来たな……」ってあらかじめ覚悟が決まってましたから(笑)。


――失敗すると先輩に殴られるのは日常茶飯事なんですか?


西村 それは普段からですよね。殴るといってもプロレスラーが殴るんですよ? そりゃあもう大変なもんですよ。殴られた勢いで、自分の歯が唇を貫通しちゃたり……。


――うわあ……一番キツかったことっておぼえてますか?


西村 それは橋本(真也)さんですよ。往復ビンタ20連発。


――破壊王のビンタ20連発!!


西村 それで意識が飛んじゃって、倒れたところを蛇皮のブーツで顔面を何度も蹴られて大流血。いまでも顔に傷が残ってます。


――……原因はなんだったんですか?


西村 挨拶がきちんとできてなかったんです。


――あ、挨拶のミスでそこまで追い込まれるんですか……。


西村 そういう経験をしたうえで文京区の教育問題に取り組んでいますね(笑)。


――ハハハハハハ! 西村さんは後輩には優しかったみたいですね。


西村 後輩には優しかったですよ。必要のない体罰はしませんでしたし。 


――馳(浩)さんも指導は厳しかったそうですけど、後輩には慕われていたんですよね。


西村 馳さんは理論的に教えますしね。何か間違えたり、練習でできないことがあると怒られますけど、個人的な感情で怒ることはなかったですね。練習が終わったら後輩に冗談を言ったりしてましたし。


――厳しさで有名なのは健介さんですよね。


西村 佐々木さんはプライベートも練習もずっと厳しいんですよね。でも、そこは引き締めるところは引き締めなきゃならないという意味では勉強になりましたよね。


――健介さんがそこにいるだけで緊張感が生まれるんですね。


西村 羽田空港でデレデレしていたら搭乗ゲートの目の前でぶん殴られたこともありますから。


――公共の場で!


西村 それでも耐え抜いた人間だけが残るんですよ。そこは優秀な大学を卒業するより大変ですよね。それに橋本さんや佐々木さんだけが先輩じゃありませんし。


――ほかに印象深い先輩はどなたですか?


西村 後藤(達俊)さんも厳しかったですねぇ。橋本さんクラスですよ……。


――後藤さんは寛水流空手出身ですし……。後藤さんは寮に住んでいたんでしたっけ?


西村 住んでるようなもんですね。多摩川の土手近くのアパートに住んでましたから。ワンルームアパートでそこに寝るだけ。ご飯は道場で食べられますし。


――前門の破壊王、後門の後藤達俊というか。中門にも佐々木健介がいるんですけど(笑)。


西村 あとライガーさんも近くに部屋を借りていたんですよね。
 

――いまでも寮にある“ライガーさん部屋”はあとからできたんですね。


西村 ライガーさんの部屋はもともと太(ふとり)さんが住んでいたんですね。


――道場の名物管理人兼コックだった太さんですね。


西村 ライガーさんは結婚されてからはアパートを引き払って福岡に住み始めたんですけど、東京にいるときは太さんの部屋に寝泊まりするようになったんですよ。


――そのうち太さんがコックを辞められて“ライガーさん部屋”になったというわけですね。


西村 新弟子生活は厳しいは厳しいんですけど、逃げちゃう人はほかに選択肢を考えちゃうんですよ。「もっと楽な仕事があるんじゃないか……」とか。でも、「これしかない!」と思えばしがみついてでも残るんですよね。息を抜ける瞬間もありますからね。トイレとお風呂でね(笑)。


――そこが砂漠のオアシスなんですね(笑)。新弟子は外出禁止なんですよね?


西村 外出禁止なんですけど、私の場合は車の運転ができたことで外に出られたんですよ。きっかけは蝶野(正洋)さん。「おまえ東京出身なのか? 車は運転するのか?」「はい」「車は持ってるのか?」「はい。スカイラインです」「なんだよ、道場に持ってくればいいだろ」と。


――嫌な予感がしますねぇ。

西村 「本当に持ってきていいんですか?」「大丈夫だよ、持ってこい。おまえも車に乗りたいだろ?」ということで、翌日スカイラインに乗って道場に横付けしたらミスター高橋さんがカンカンに怒っちゃって。


――ハハハハハハ!


西村 「あれは誰の車だ?西村、持ち主は道場に出頭するように紙を貼っておけ!」と。 もの凄く怒っちゃってるから「私のです……」とは言えなくなっちゃって。しょうがないから自分の車に出頭要請の張り紙をしましたけど(笑)。


――蝶野さんもフォローすればいいのに(笑)。


西村 最終的にバレて「乗って帰れ!」という話になったんですけど、ライガーさんや橋本さんが「車があるんだったら……」といろいろと用事を頼んできたんです。それで私の車があることによって、道場の雑用がスピディー化されることがわかってしまったんですよねぇ〜(笑)。


――わかってしまいましたか!(笑)。


西村 移動範囲が東京都内に広がるわけですからね。私が入る直前まで道場にバスがあったらしいんですけど。そのバスで後楽園ホールや羽田空港までの送り迎えができて、もの凄く便利だったらしいんですよ。


――新日本の道場って、駅からも遠くてアクセスが悪いですもんね。


西村 新幹線移動が多かったですから新横浜まで車で送れる。なので「西村の車があったほうがいいぞ」という話になって、私の車を道場に置くことが認められたんです。


――なるほど。運転手として自由に外に出られるようになったんですね。息抜きができたというか。


西村 いやいや、息抜きなんかにはなりませんよ。練習でスクワット何千回もやって、スパーリングでグチャグチャになったあとで「下北沢のおもちゃ屋でゴジラを買いに行ってこい!」とか命令されるわけですから(笑)。


――橋本さんの命令ですか?(笑)。


西村 いや、ゴジラはライガーさんで、橋本さんはエアガンです(笑)。


――ハハハハハハ! よく事故を起こしませんでしたねぇ。


西村 どこかで車を止めて5分間睡眠をしたり、息を止めるとか。息をしないと人間、目が覚めますからね(笑)。


――死ぬ気でオモチャを買いに行ってたんですね(笑)。 
 

西村 あるとき橋本さんに車を貸したんですよ。でも、翌朝後藤さんを迎えに行く約束をしてたんです。橋本さんは「朝までには必ず戻ってくる」と言っていたんですけど……。


――クククククク。


西村 当然帰ってこないんですよね(笑)。後藤さんにはメチャクチャ殴られましたよ……。


――理不尽な世界ですねぇ……。橋本さんのお付きは大変そうですよね。


西村 もの凄いなんてもんじゃないですよ、ホントに。一番面倒くさかったのはラーメン作りですよね(笑)。


――原価一杯1万円の“真ちゃんラーメン”ですね(笑)。


西村 「おい西村!知り合いにラーメン屋はいないのか? そいつに連絡して麺の作り方を聞け!」って。麺をイチからこねるんですかって(笑)。


――ハハハハハハ!


西村 それで道場のキッチンをグチャグチャに汚して作って、ラーメンを食べたら気が済んでそのまま帰っちゃいますから。


――怪獣ですね(笑)。


西村 橋本さんには偏屈な部分があってですね、車に指紋がひとつつくだけでワックスから車内の掃除までやり直しさせるんですよ。凄く神経質。


――ズボラなのに(笑)。


西村 笑っちゃうのは2時間も3時間も丁寧にワックスがけをして「橋本さん、終わりました!」と報告した途端に雨がザーザー降ってきちゃって(笑)。


――橋本さんの道場エピソードは事欠かないですねぇ。


西村 幼稚園生がそのまま大きくなった感じですよね。道場で飼っていた犬にしても、橋本さんのイジメがハンパじゃなかったですからね(笑)。


――犬の名前はワカですよね(笑)。


西村 ワカは私が見つけてきたんですけどね。巡業中の山口県柳井市体育館に子犬が迷い込んじゃって、私に懐いちゃってついてくるんですよ。そうしたら橋本さんが「道場で飼おう!」と言い出して。基本的に新弟子が面倒を見るんですけど、ワカが子犬だったときは橋本さんはかわいがっていて自宅に連れ帰っていたりしてたんですよ。でも、だんだん大きくなると、もう面倒くさくなって、しまいにはイジメたりしてましたからね(笑)。


――子犬以外に用はないという(笑)。


西村 あんまりにもイジメもんだから、犬がですよ、橋本さんが道場にやってくると「困ったなあ……」という顔をするんですよ(笑)。


――ハハハハハハ!
 

西村 普段はいい子なのに橋本さんが来ると途端に困った顔になる。物陰に隠れて、橋本さんの様子を伺ってるんですよ。犬ってあんなことするんですね(しみじみと)。


――そんなに橋本真也が嫌だった(笑)。 


西村 ワカは最後、身体が動かなくなっちゃって、三澤トレーナーが家で看病してたんですよ。亡くなったときは私と吉江(豊)と三澤トレーナーと一緒に江ノ島に散骨に行きましたよ。次にモモという女の子の犬も飼ったんですよね。モモは草加の体育館で試合をやったときに迷い込んできて。


――面倒を見るのは新弟子なんですね。


西村 新弟子はもう大変ですよ(笑)。でも、あそこにいると精神が鍛えられますよね。


――天山さんなんかは1回夜逃げしたくらいですもんね。


西村 3日で逃げてまた入門して、そしてまた耐えられなくなって逃げるはずだったんですよ(笑)。


――天山広吉、2度目の逃亡!(笑)。


西村 「いままでお世話になりました……」「俺は残るから、またどこかで会おう!」と握手して涙、涙の別れですよ。そのあと天山は深夜2時3時に寮から夜逃げするはずだったのに、朝起きたら天山はまだ寝てるんですよ。「おい、夜逃げするはずじゃなかったのか?」って(笑)。


――ハハハハハハ! 寝過ごして夜逃げできないって(笑)。


西村 天山はそのまま起きて道場の掃除してましたね。寝過ごしたおかげでプロレスラーになれたんですよね。


――結果的に寝過ごしてよかったんですね、天山さん(笑)。


西村 チャンピオンになったときに「あのとき寝過ごしてよかったなあ……」って昔を思い出してましたけど(笑)。厳しいのが当たり前になっていくと、いつのまにか慣れるんですよね。最初は何かあるたびにビクビクするじゃないですか。24時間ビクビクしていたけど、そのうち鈍感になっていくんですね。


――プロレスラーって天然の方が多いですけど、最初から天然なんじゃなくて……。


西村 そうなっちゃうんですよねぇ。ネジが外れちゃうんですよ。やっぱりビクビクするほうが苦痛なんですよ。戦場の兵士じゃないですけど、どこでも寝られるようになるんですよね。


――西村さんが寮長になったときはそこまで厳しくなかったそうですよね。


西村 うーん……1回だけクーデターが起きたことがありましたけど(笑)。


――クーデター!(笑)。何が起きたんですか?


西村 私に彼女ができちゃたんですよ。アメリカに行く直前、93年頃。寮を抜けだして毎晩彼女の家に遊びに行ってたんですよ。そうしたら「寮長なのにいつも寮にいない!許せない!!」とクーデターが起きて。首謀者は天山(笑)。


――ハハハハハハ! 涙の別れをするはずだった天山広吉(笑)。


西村 寮に帰ってきたらみんなが集まって文句を言われたんですよ。さすがに私も「あらためます」と謝ってクーデターは収まったんですけど。


――そのあと海外修行に行かれますが、西村さんにとっては海外生活が大きな転機になりますね。

 

 

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