【K-1MAXを創った男】小比類巻貴之「ミスターストイックのキャラは正直、しんどかったです」

K-1MAXを創った男・小比類巻貴之ロングインタビュー! ゼロゼロ年代の格闘技ブームでターニングポイントのひとつとなったK-1MAX。そこから爆発した中量級人気は、のちに MMAイベントHERO`Sの立ち上げにもつながっている。その中量級ブームの立役者が魔裟斗であり、今回登場する小比類巻貴之だ。いまや伝説となっている第1回K-1MAX代々木大会での激闘で世間に衝撃を与え、「ミスターストイック」といえば誰もが彼の名前を挙げるほどの認知度。最近「K−1GYM EBISU小比類巻道場」をオープンさせたばかりのその小比類巻選手に格闘技バブル「以前・以後」を語っていただいた。黒崎道場の驚愕のエピソードから、突然だった引退会見の真相、リングス出陣、そして宿敵・魔裟斗まで!

 

 

――近年は指導者として活躍されている小比類巻さんですが、この春から「K−1GYM EBISU小比類巻道場」をオープンして心機一転という感じですか。

小比類巻(以下、コヒ) いままでの道場は時間貸しでやってたんですよ。今回ボクらのジムができたということで、営業は22時までなんですけど、なんだかんだでみんな終電まで残っちゃいますね(笑)。

――自分の城ができたことで張り切ってるわけですね。設立会見のときに小比類巻選手が言っていたのは「選手としていろんなところで経験してきたから、幅の広い指導ができる」と。最初は極真ですよね、青森で。

コヒ 地元の極真空手ですね。中学2年生の終わりからです。それから高校を卒業して、渋谷のJ-NETWORKのジムでタイ人トレーナーに習ったんですよ。

――J-NETは極真とつながりがありますもんね。

コヒ はい。青森にいたときに全日本ジュニア大会に出たんです。そのときジムを見学したのが始まりですね。

――J-NETではタイ人のトレーナーがいてムエタイスタイルを学んで。蹴りが得意なのはその影響が大きいんですかね。

コヒ いや、そこは極真ですね。その頃はハイキックでポイントを取ったりKOをしてました。

――そのあとフリーになってチーム・ドラゴンですか。

コヒ チーム・ドラゴンから大阪の正道会館で島田トレーナーに会って「チーム武蔵」としてやって。あっ、その前はアンディ・フグさんと前田憲作さんの「チーム・アンディ」もありましたね。正道のあとに黒崎道場に行って、またチーム・ドラゴンに戻って。それでパンチをおぼえたくて、また島田トレーナーのところに。で、2009年は藤原道場に行ったんですよね。

――巡ってますねぇ。

コヒ まだ続きますよ(笑)。そのあと千葉に自分の道場を作って指導をしながら試合をして。そうこうしているうちに恵比寿に来て久保(優太)くんたちと練習をするようになったんですよ。そこにプロの選手が来るようになったんでボクは練習というよりは指導のほうに回ることになって。

――それで今回のK−1恵比寿ですか。極真、ムエタイ、ヒジなしのK−1スタイル、それに島田トレーナーからはボクシングですよね。ホントいろいろ学んでますよね。黒崎道場や藤原道場での根性論トレーニングもありますし。

コヒ メチャクチャやりました。

――結果的にそれがいま活きてるわけですか。

コヒ はい。メチャクチャ活きてますね。

――選手としては、ひとりの指導者とガッチリ組んだほうが良かったとは思いませんか? 実を言うと、僕は当時「あっちこっち拠点を変えるのはどうなんだろう」と思ってたんですけど。

コヒ いやあ……まったくそのとおりですね!(笑)。

――ハハハハハハ!

コヒ 自分で言うのもなんですけど、教わるとなんでもできちゃうんですよ。それで「次は?」ってなってるのに「このままで行け!」と言われると「もっとできるのに!!」って思っちゃってモチベーションが上がらなくなるんですよね。

――「もっといろいろ学ばせてほしいのに」と。

コヒ   それで一番腑に落ちたのは藤原道場で。

――あ、そうなんですね。藤原道場って、自主性が大事ですよね。自分で考えてやれっていうスタンスというか。

コヒ はい。自分で好きなようにやれるから、考えるようになったんです。そうするといろいろと試すから自分のスタイルが崩れるんですよね。たとえばそこでボクシングが崩れたら島田トレーナーのところに行って修正してもらったり、自分でやっててわからないところは藤原先生に聞きますし。結局、自由にやらせてもらって困ったときにアドバイスをもらえる人がほしかったんですよね。上からバシンと言われるのがダメで。

――どんどん新しいことをやってみたいというか。

コヒ そうなんです。

――小比類巻選手といえば、なんといっても「ミスターストイック」というキャッチフレーズですよね。

コヒ そうなんですよねぇ。テレビで格闘技ブームになって魔裟斗と比較されて。そのときは黒崎道場にいたのでそういうイメージで。

――ガチガチの真面目キャラが立ってましたね。

コヒ ……それが凄くシンドくて(苦笑)。

――ぶっちゃけますねぇ(笑)。当時は「ミスターストイック」を演じようという意識があったんですか?

コヒ いやあ、演じようと思っても演じきれないんで。たとえばの話ですよ。休日にゲームセンターに行ったりすると「ミスターストイックがゲームなんかやってる……」となるわけですよ。

――どこがストイックなんだ、と(笑)。

コヒ そうなるとこっちもムッとしちゃうし、周りの目が気になってコンビニでプリンすらも買えないわけですよ(笑)。K−1MAXっていい時間帯にテレビでやってましたから街を歩くのもけっこう大変だったというか。あのキャラのジレンマはありましたよね。

――そこは黒崎道場の幻想も重なったんでしょうね。

コヒ 黒崎道場での生活って、練習は5割だったんですよね。その練習メニューも本当にキツかったんですけど……。それをこなすだけの練習で対戦相手の研究することもなく。まず朝の練習で腕立て伏せ1000回ですから。

――腕立て伏せ1000回!(笑)。 昭和・新日道場じゃないんですから。

コヒ でも、ホントに1000回できるんですよ。自分でもビックリしました(笑)。そのあと8キロのダンベルでカール1000回やって、サイドステップ1時間。それが午前中の基礎体力練習。それから黒崎(建時)先生の昼ごはんをパンパンの腕で作って。

――その練習のあとだと料理するのもシンドいですねぇ。

コヒ それで先生と一緒の昼ごはんを食べて、15時から練習なんですけど、空いてる1時間半は「散歩してこい」と。犬の散歩なんですけどね(笑)。

――犬の散歩1時間半ってけっこう大変ですよ!

コヒ 散歩から戻ってきたら2階で壁蹴り、サンドバックを1〜2時間。先生は下の階にいるんですけど、自分がサンドバックを叩いてる音を聞いてるんですよね。

――それは幻想的ですね……。

コヒ あとリュックもキツかったです。薪を背負うような感じで、コンクリートのブロックを重ねて塗り固めて作ったリュックがあるんです。150キロと80キロとそれぞれあって。

――そんなものを背負って何をするってんですか(笑)。

コヒ あるときは80キロのリュックを背負って、いつも走る10キロのコースを「歩いてこい!」と言われたんですけど。歩いて戻ったら夜の20時で。黒崎道場の食事は20時には終わるので「今日の食事は終わりだ!」と(笑)。

――ハハハハハハ!

コヒ あと試合に負けたときに凄く怒られて「おまえは水を飲むな!」と言われて。

――水禁止!(笑)。

コヒ 「蛇口を回すな!」と言われたんですけど、水分を採らないと練習がまともにできなかったんですよ。なにしろ初夏でしたし(笑)。

――そもそも命に関わりますよ!   それで大丈夫だったんですか?

コヒ ……ひとつだけ方法があったんですよ。フルーツはオッケーじゃないですか。先生から言われたのは「水禁止」ですから(笑)。

――ハハハハハハ! 一休さんのトンチ合戦の世界になってきましたね(笑)。

コヒ なので「ロードワーク行ってきます!」って500円くらい持って出かけて八百屋で冷えてる桃を買ってですねぇ……あの桃が本当にうまかったんですよねぇ(しみじみと)。

――ハハハハハハ!

コヒ いまだに桃が大好きですから(笑)。

――隠れて水を飲もうとは思わなかったんですか?

コヒ いや、そこはどうしても飲めなかったんですよね……。先生との約束というか勝負というか。やっぱり先生に認めてもらいたかったですから。……まあ桃は食べてたんですけど(笑)。

――そこは先生に対する対抗心というか。いい師弟関係ですね。

コヒ 意地の張り合いです。でも、あるとき先生が「今日は練習を見てやるからラッシュやれ!」と。サンドバックを叩くと桃を食べてるから汗が出るじゃないですか。そうしたら「おい、汗が出てるじゃねえか。水を飲んでるだろ!」「飲んでません!(桃は食べてるけど)」「嘘をつくな!もういい!!」って怒られましたね。

――そんな言い争いが(笑)。しかし凄い環境ですね。

コヒ 根性と体力は付きましたけど、よく試合で闘えてたなあって思いますよね。スパーとか一切やらなかったですから。

――スパーなしですか!

コヒ だから試合のとき距離感がわからなかったんです。安廣(一哉)さんとやったときにダウンをもらって判定で負けたんですけど、ぜんぜん腑に落ちなくて。だって、そのときいちばんキツイことをやってるのは自分だと思ってたましたから。「こんなキツイ思いをしてるのに負けるなんておかしいっ!!」って(笑)。

――そこでミットやスパーの重要性には気づきますよね。

コヒ でも、あの頃は黒崎先生に認めてもらいたい一心だったんですよね。

――格闘技には華やかさもありますけど、小比類巻さんは昔ながらの男っぽさに対する憧れが強いタイプですよね。

コヒ それは根強いですね。昭和の格闘家って壮絶だったじゃないですか。「それをいまの時代は俺がやってる!」っていう気持ちはありました。魔裟斗みたいに独自のスタイルを築いていくのも素晴らしいですけど、昔の格闘技ファンにも応援してもらいたいな、と。第1回K-1MAXのとき黒崎先生から「いまの若者がどれだけ根性があるか見せてやれ!」と言われましたし。

――いまや伝説の第1回K-1MAX代々木大会。あそこから何かが変わっていった印象が強くないですか?

コヒ ああ、変わりましたね。あの大会から何もかもが大きく変わりました。

――テレビ自体は平日23時からの中継でしたけど、異例の高視聴率でK-1MAX人気に火がついて。番組の終わりが小比類巻選手のマイクだったんですよね。「次やったら……ぶっ殺します!!」のインパクトたるや(笑)。

コヒ あの大会は尋常じゃない熱でしたねぇ……。ボクはあのとき2回戦で大野崇選手とやったんですけど、試合後、自分の力でリングを降りれなくなるくらいダメージがあったんですよ。血尿も出て、鼻も折れてていて、肩も脱臼してて。ドクターストップがかかってもおかしくない状況で。

――そんな身体で決勝を闘いぬいたんですか。

コヒ 「決勝の相手は魔裟斗」と言われたときは「やるしかない!」と思いましたね。

――1回戦は須藤元気選手のバックブローでダウンして、2回戦は壮絶な打ち合いで。小比類巻選手の試合で火が付いたところはありましたよね。

コヒ あのとき先生から「このメンバーだったらローキック一本で優勝しなかったらダメだな」って言われたんですよ。

――ローキックだけで! そういう伏線があったんですね。

コヒ ボクもその言葉をまともに受け止めたんですよね。「先生、わかりました。ローだけでいきます!」と。ホントは島田トレーナーにボクシングを習ってたし、ハイキックもあったんですけど。もうローだけで勝ってやろう!と。

――それであんなにボロボロになって闘ったんですねぇ。

コヒ でも、本当に痛い思いをしたのは、その大会のあとなんですよ。人生でもいちばん痛かったというか……。

――何があったんですか。

コヒ あの代々木の試合が終わってK−1のスタッフとすぐに病院に向かったんですよ。それで診てもらったら即入院という話になったんですけど。道場の朝の掃除があったので入院を断りました。

――ええええ(笑)。

コヒ それは自分でも決めていたルールなので。それで夜中に帰ろうとしたら病院の人たちが「帰るんですか!?」ってビックリしちゃって。「明日また来ますから!」って言ったんですけど。

――そういう問題じゃないですよ(笑)。

コヒ それで深夜2時にタクシーで黒崎道場に帰ったんですけど、折れた鼻が痛くて寝れないんですよ。氷で鼻を冷やしながら起きていて6時になったら掃除をして食事を作って。それで「病院に行ってきます!」って言ったら先生が「病院に行くのはいいけど、絶対に手術するんじゃないぞ!」と。

――えっ、どういうことですか?

コヒ 先生が言うには「手術すると麻酔をするだろ? あの麻酔が身体によくないんだ。麻酔は絶対にしちゃダメだぞ」と。でも、病院で「この鼻を治すにはどうしたらいいんですか?」と聞いたら「手術するしかないね」と。

――まあ、あたりまえですよね。

コヒ 「手術って麻酔を使いますよね?」「はい」「そこをなんとかならないですかね」「……あなたは何を言ってるんですか」。

――ハハハハハハ!

コヒ しかも全身麻酔だって言うんですよ。全身麻酔なんかやったら 夕飯の18時までに帰れなくて先生に怒られるじゃないですか!

――手術より黒崎先生との約束ですか(笑)。そもそも先生は「麻酔はダメ」と言ってますしね。

コヒ だから「すいません!手術をしたいんですけど、麻酔なしでなんとかできないですか?」って何回も何回もお願いして…………。

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