【男が男に惚れる天龍劇場】北原光騎インタビュー「俺にとって天龍さんは“神様”だよ」

全日本プロレス、SWS、WARと天龍源一郎・激動の時代を知る男、北原光騎ロングインタビュー。佐山サトルに憧れていたスーパータイガージムのインストラクターがなぜ天龍源一郎を支えることになったのか? 師匠・天龍引退を万感の思いで語ってくれた! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします! 

 

 

――現役時代と変わらず、お若いですね。

北原 いつも若い人に囲まれてるから(笑)。

――リングからを離れると、皆さん太ったりするもんですけど。

北原 これでも減量したんだよ。いま93キロくらいで現役のときは120キロくらいあったから。いまはプロレス界と全然関わってないんだけど、俺の子供がFacebookをやりだしてね。そこで天龍さんが引退することを知って。

――天龍さんは本日引退記者会見を行うそうです(このインタビューは2月9日に収録)。

北原 ついに来るときがきたって感じがした。…………これで俺も引退できるよ。

――あ、北原さんが引退宣言をされていなかったのは、そういう理由があったんですね。

北原 全日時代から天龍さんとやってきて現役なのは俺だけだろ。首のヘルニアが酷くて、試合はとっくにできないんだけど。大将より先にやめるわけにはいかないだろ。こういうことを言うとさ、大将からは「何を言ってるんだ馬鹿野郎!」って鼻で笑われるかもしれないけどね(笑)。

――天龍さんとはどれくらい会われてないんですか?

北原 4年くらいかなあ。娘の誕生日に天龍さんの興行に出たとき以来だね。

――最近はご無沙汰とはいえ、天龍さんと北原さんの付き合いは長いですよね。

北原 もう長いなんてもんじゃないよ(笑)。

――そもそも北原さんはスーパータイガージムから全日本プロレスに入るという異色の経歴ですよね。

北原 全日本じゃなくてジャパンプロレスなんだけどね。俺も当時はどこがどうとはあんまり深く考えたことはなかったんだけど。

――最初の師匠は佐山(サトル)さんで。

北原 あれは佐山さんが旧UWFをやめる頃だよ。俺は極真空手をやってて、立ち技と寝技ができる佐山さんに憧れてたんだよね。それで福岡から上京したんだけど、佐山さんはUWFの人だと思ってたら、UWFに行ったんだよ。UWFの試合は見たことなかったんだけど、ただ佐山さんの弟子になりたくてね。結局テストは落ちたんだけど、UWFも選手はいらなかったみたいなんだよね。

――UWFは経営的に厳しかったですし。それでスーパータイガージムに入会したわけですね。

北原 佐山さんと接点を作るためにスーパータイガージムに入会して。1カ月くらい通ったんだけど、なかなか佐山さんには会えなかったんだよ。やっと佐山さんがジムにいたときに「これはチャンスだ!」と思って、サンドバックをボコボコ蹴ってたんだよね。そのときインストラクターとして宮戸(優光)さんがいたんだけど。

――のちに新生UWFやUWFインターで活躍される宮戸さん。

北原 宮戸さんからしたら、そこまでボコボコ蹴ってる奴がいなかったから異様に見えたんじゃないかな。そのアピールが届いたのか、佐山さんに呼ばれたんだよね。俺は佐山さんの前ですぐに正座して「弟子にしてください!」と頼みましたよ。そこからジムのインストラクター。

――当時の佐山さんはかなりギラギラされていたんじゃないですか。
北原 そりゃあ厳しかったよ。佐山さんはシューティング(修斗)を一刻も早く確立させないといけない時期だったから。練習になると、もの凄い目つきで竹刀を持ってね。でも、一般会員にも自分たちにも優しかった。誤解されてるかもしれないけど、佐山さんは優しい人。で、俺がインストラクターになった頃にUWFの内部がゴタゴタしてて。

――前田(日明)さんたちと対立した佐山さんがUWFから離れることになるんですよね。

北原 そのとき宮戸さんがジムをやめて、前田さんのとこに行くことになったんだよね。

――佐山さんの下にいた宮戸さんが、前田さんらのもとに移るのは興味深いですね。

北原 宮戸さんとあんまりそういう話はしたことないから理由はわからないけど。あのときジムにいたのはヨリかな。中村頼永ね。

――ジークンドーの中村頼永さん。

北原 ヨリとは兄弟弟子だから。二人で佐山さんの家によく行ったり、砧公園とかでガチンコの練習をやったりしたよね。

――タイガージムのインストラクターだった山崎(一夫)さんとの接点もあったんですか?

北原 山崎さんとはすれ違った。山崎さんはUに行って宮戸さんは指導員で残ってたから。

――下の世代でいうと、仮面シューター・スーパー・ライダーの渡部優一さんとか。

北原 ナベちゃんは俺が教えてた。坂本一弘も後輩だし。自分がいたときに大阪から上京してきて。芦原空手やっててサバキがうまかったんだよ。だからあだ名が「あしはら」で。

――当時のシューティングは、選手に変わったあだ名を付けてましたね(笑)。

北原 俺が付けたあだ名は歌舞伎町から通ってる奴が「歌舞伎町」、入会したときにお釣りを300円渡し奴は「お釣り300円」。だから練習中にも「おい、お釣り300円!」って呼んでいて(笑)。

――たけし軍団的なネーミングセンスですね(笑)そういえば、北原さんはスーパータイガージム時代に『風雲!たけし城』に出演されて、最終決戦まで進出されましたよね。

北原 なんで知ってるの?(笑)。あれ、面白い話があって。あのときはナベちゃんと川口健次と出たんだけど、たけしさんがFRIDAYに殴り込んだ事件で謹慎中で。ラッシャー板前がたけしさんの変わりだったんだよね。7〜8年前にTBSから「あのときの映像をBSで再放送したい」って電話があったんだよ。いまは再放送するのにも出演者の許可がないと流せないんだって。「お金くれるの?」って聞いたら「振り込みます」と。それで何ヵ月後にいくら振り込まれたと思う?

――うーん、そんなに多くは払わないですよねぇ。5000円くらいですか?

北原 いやいや、60円だよ(笑)。

――ファッ!? 「お釣り300円」以下!

北原 あれには笑ったよ。「何を買おうか」なんて思ってたのに(笑)。

――振込手数料のほうがかかりますよね(笑)。北原さんはそのあとにジャパンプロレスに移ったわけですよね。

北原 なんでだろうねぇ。やっぱりお金がほしかったのかな。まだシューテングはプロ化されてなかったから。試合もできなかったしね。

――ジャパンプロレスに伝手はあったんですか?

北原 ナベちゃんがレスリングつながりで谷津(嘉章)さんを紹介してくれて。

――渡部さんは高校のレスリング部時代に三沢(光晴)さんと同級生で、川田(利明)さんの先輩に当たりますね。

北原 谷津さんはジャパンプロレスのときにアマレスの全日本選手権に出て勝っただろ。「凄いな」と思って。それで谷津さんに付いて行こうと。

――佐山さんと同じく谷津さんも強さに惹かれたわけですね。

北原 そこだけ。ジャパンに入ったのはお金がないからだけど。入ってみたのはいいものの、ちょうどジャパンが割れたときだから池尻の道場で一人で練習してたんだよ。結局ジャパンは分裂しちゃって谷津さんも療養中。そのままクビになるところを助けてくれたのが天龍さん。「俺の付き人をやれ」ってね。それで全日本に残ることができたんだよ。

――それまで天龍さんと接点はあったんですか。

北原 なかった。

――どうして北原さんのことを気にかけてくれたんでしょうね。

北原 いまでもわからない。だってほら、天龍さんは“神様”みたいなもんだから。“神様”に質問できないだろ。いまでこそ天龍さんが何をしゃべってるかわからないってみんな笑ってるけどさ、俺のときは“神様”だよ。

――当時は天龍さんの言葉は聞き取れましたよね。

北原 聞き取れなかった(笑)。

――20年前から!(笑)。

北原 でも、聞いているうちにわかるようになるんだよね(笑)。考えるに、天龍さんが俺を拾ったのは小川(良成)さんから付き人を代えたかったのかもしれないし、佐山さんのところにいたからかもしれない。プロレスラーって「プロレスはこういうものだ!」って頭が固い人が多いけど、天龍さんは考え方が柔らかいから、いろいろと吸収したかったのかも。たまに「関節を教えろ」とか言ってきたし。
――格闘技的な強さに憧れていた北原さんのプロレスに対する認識はどういうものだったんですか?

北原 当時は「倒してやろう」と思ってたよ。(タイガー・ジェット・)シンが暴れたらローキック入れて……とか考えてたから。仕組みとかわからなかったし。スタン・ハンセンが暴れたらどうするかとか。

――当時のハンセンの暴れ方は凄かったみたいですね。お客さんがいないバックステージでもガンガンやりあったりして。

北原 ホテルで天龍さんとハンセンがかち合ったりしたときもヤバかったよ。

――ホテルでも!

北原 でも、お互いにわかりあってたよ。だからどこまでもやりあえたんじゃないの。天龍さんと俺が全日本に帰ったときもハンセンは嬉しそうな顔してたから。リングに俺が上がったら「おお、おまえもいるのか?」みたいな顔でニッコリしてね。 

 

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