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人間風車

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─Double Arm Suplex─
もう一人の暴力柔術、モーテル暮らしから脱出/北米通信『MMA UNLEASHED』更新
 

 米フォーブス誌による「全米でもっとも惨めな町」ランキングの常連、カリフォルニア州ストックトンで生まれ育ったネイト・ディアスが、なによりもまず最初に学んだことは「タフガイのやり方」というものであった。それは、他人のことをじっと見つめないでいて、同時にけして目を離さないやり方であったり、トラブル発生を予感する術であったり、自分がどれほど本気あるかを相手に信じさせるやりかただったりする

 

 55日に米地上波FOXで放送された試合でも、ネイトはいつもどおりのタフガイ方式を貫いた。カメラに向かって中指を立て、試合前のグローブタッチは無視し、試合中にはミラーに挑発的な様子で言葉を投げかけた画面に映し出されていたのは、洗練とはほど遠い、怒れる男の姿だった。

 

 とはいえ、筋金入りの喧嘩スキルを、計算と戦略に基づいて利用するのがディアス兄弟流である。ミラーに何を怒鳴りつけていたのかについて、試合後のネイトは「いや、実際には何もしゃべってなかっただろ?そんなことより、ヤツのパンチがほとんど当たってなかったんで、やりやすくなってきたなと思っていたんだ」とコメントしている。感情にまかせて怒鳴り散らしているわけではないのである。ミラーのほうも「彼が何を言っていたのかは覚えていないし、それに影響されたわけじゃないんだ。それより、パンチを当てられたことにまいっていた」と、冷静に受け止めていたとしながらも「でも、あんなふうにしゃべる隙を与えるべきではなかったのかもね……なんだかあれでペースを握られてしまった気がするとも語っている。

 

 じつは子供の頃から格闘技に一生懸命取り組んでいたのは兄貴の方で、弟はどちらかと言えば、兄貴のあとをついて行っただけだった。柔術もあまり好きではなかったし、うまいとも言えなかった。練習が終わると、ジムの近くのスタンドで、先輩がみんなにブリトーをおごってくれるのが楽しみで、ジムに通っていたようなものだった。それはネイトが高校生の頃だった。

 

「本当に目当てはブリトーだけだった。カネなんてなかったし、僕らはいつも腹ぺこだったんだ。ニックと一緒に練習に行けば、ブリトーにありつける。家にいたら、腹ぺこのまんまだ。毎日何か食べたいじゃないか。そうこうしているうちに、青帯をもらったんだ」

 

学校の成績も良くなかった。先生は、ネイトが将来にわたって牢屋に入らないで済むだけでも大成功だが、その可能性は低いなどと口にした。ネイトがジムで少しずつタップをとれるようになり始めると、兄貴と一緒にプロの格闘家になることだけが、将来らしきもの、ただひとつの希望となっていった。

 

ものすごく貧乏な家庭に育ったんだよ。ゲットーのような、ひどい環境だった。僕ら兄弟と妹、お袋とで、モーテル暮らしだったんだ。子供の頃はいつもぶち切れていた

 

お袋は『渡る世間に鬼はない』という考え方だった。でもニックは『人を見たら泥棒と思え』というタイプだった。じつはほとんどの人は、僕らとは違って、良い家に住んでいるのだということを兄貴は知っていた。僕とか妹はそんなことは何も知らず、テレビで漫画を見られればそれで良かったんだ。でもニックはなんでも知っていた。それでニックはいろんな人とぶつかった。ニックはずっとそうなんだ

 

ネイトにとってニックは、格闘技への門戸を開いてくれただけでなく、世界への門戸を開いてくれた存在である。UFC公式ページのネイト・ディアズのプロフィールページには、「Do You Have Any Heroes? – Nick Diaz」と書かれている。

 

 とはいえ、難敵ジム・ミラーに強い勝ち方を見せたことで、昨年のドナルド・セラーニ戦、今年の五味隆典戦での勝利への評価もあいまって、周囲のネイトへの評価はすでに「ニックの弟」いう形容詞が不要なエリートファイターの仲間入りをしたとみるきが多い。

ロレンゾ・フェルティータは「ネイト・ディアスがスター選手にブレイクする可能性を見せた。将来はPPVの山を動かしてくれる存在になるかもしれない。(今回のFOX大会は低視聴率に終わったけれどもあったけれども)シナリオは思い通りに進んでいるんだよ」とコメント。

 ダナ・ホワイトも「ネイト・ディアスに注目が集まったのは良かった。れからネイトのことはジョン・ジョーンズ並みのプッシュをしていくつもりだぞ2年前には、誰もジョン・ジョーンズなんて知らなかっただろう? それがいまではPPVよく売ってくれるし、ライト層のファンからの知名度も抜群なんだよと、ネイト売り出しが今回の地上波放送の隠れた戦略だったことをうれしそうに明かしている。過去5間でネイトがUFCでこなした試合数16試合でこれは登録選手中最多である(2位は13試合が多数)。お兄さんの陰に隠れがちに見えたネイト、そのような評価を甘受し続けてきたかに思われるネイトではあるが、大きな怪我もせず、記者会見のドタキャンもせず、コンスタントに試合に出場し勝ち星を重ねることで、ふと気がつくと、お兄さんより先に、UFCのチャンピオンになってしまうのかもしれない場所に立っていたのだ。

 (文・高橋テツヤ/ OMASUKI FIGHT http://omasuki.blog122.fc2.com/


 

Chad Dundas, Nate Comfortable as Lesser-Known Diaz Bro, ESPN, May 3, 2012

Reid Forgrave, Diaz’s Mad Skills Too Much for Miller,FOX Sports, May 6 2012

Ben Fowlkes, A Tale of Two Diaz Brothers, MMA Fighting, May 4, 2012

Kevin Iole, UFC on FOX Rating Dip; Fertitta Not Worried, Yahoo! Sports, May 9, 2012

| コラム | 21:23 | 人間風車 |
『ゴッドタン』とバナナマン/てれびのスキマの『戦うテレビ』更新!!
 『ゴッドタン』とバナナマン

「とにかく見た目がムリ」「頭も悪そう」「清潔感ゼロ」「何かと理由つけて風呂に入らなそう」「絶対変態」「たまに出す可愛い感じが余計バケモノに見える」「これが普通と思い込んでずーっと間違ったHをしてそう」と散々な罵倒を浴びせられたのは『ゴッドタン』(テレビ東京)の名物企画「マジギライ1/5」に満を持して登場したバナナマン日村勇紀だ。

 2012年の上半期、テレビお笑い界のMVPを挙げるとすれば、間違いなくその筆頭にバナナマンが選出されるだろう。
 ほぼ毎日のようにレギュラー番組を持ち、そのうえで『ゴッドタン』『リンカーン』『とんねるずのみなさんのおかげでした』などではいまやなくてはならない準レギュラー的存在として活躍。そして今年に入ってからは設楽統は朝の帯番組『ノンストップ』の司会に抜擢、その勢いのままバナナマンは『笑っていいとも!』のレギュラーにもなった。まさに「時は来た!」といえる活躍で文字どおりテレビで見ない日はない。

 長きに渡りバナナマンと活動を共にし「3人目のバナナマン」とまで言われる作家オークラは『Quick Japan』(vol.94)の「バナナマン特集」で「僕が書いたネタを(芸人時代の)自分が演じても全然面白くなかったのに日村さんが軽く読んで演じたら異常に面白かったんです」と「アクター」としての日村の凄さを語っている。
 設楽統も「自分の予想以上に面白くしてくれる」と全幅の信頼を寄せる。一方でそのナルシストっぷりを徹底的に攻撃する。そして現在のブサイク&気持ち悪いキャラに「ここまで育てあげたのは俺。俺がここまで育てたんです。自分でもスゴいと自負しています」(『A-Studio』)と胸を張る。「僕は日村勇紀の面白さを世に伝えるのが使命だと思ってる」

 前述の『ゴッドタン』「マジギライ1/5」でも設楽はモニタリングルームにいた。「マジギライ1/5」はゲストの芸人が「自分のことが嫌い」という5人の女性から「マジで自分のことが嫌い」な1人を当てるという企画。今回は特別に設楽がモニタリングルームから5人のうち1人に指示を出していたのだ。番組ではその声を副音声で流すという画期的な演出まで試みていた。(番組冒頭で「録画しておくといいことがあります」とし、番組中盤でその仕掛けを明かした)
 「設楽統のああいうモニタリングの凄さはみんな知ってるよね……」と日村が怯える中、設楽は的確に指示を再現する由井香織という逸材(この辺りの人選を疎かにしないのが『ゴッドタン』の凄さのひとつだ)を武器に、持ち前の知性、暴力性、狡猾さ、批評性で日村を追い込んでいく。そして追い込まれれば追い込まれるほど光り輝く日村の魅力を見せつけるのだ。思惑通り日村が爆発的なリアクションを見せると設楽は心底楽しそうだ。

 バナナマンが結成された夜、設楽の家に泊まった日村が、寝床に就き一度消えた部屋の灯りを再びつけると、真顔で「俺たち、これからスゴいことになるぜ」と言ったという伝説はお笑いファンの間で有名な話だ。
 前述の『Quick Japan』(vol.94)で『ゴッドタン』のMCでありバナナマンの盟友でもあるおぎやはぎ小木博明は「『俺たち、スゴいことになるぜ!』はまだ半分も実現させていないでしょ。これからですよ」とコメントを寄せている。それから約1年半が経った。小木の言葉どおりこの1年半の間にもバナナマンは「スゴいこと」を次々と塗り替えていっている。そしてそれを今後も更新し続ける予感にあふれている。

 『ゴッドタン』はわずか30分弱の放送時間でそんなバナナマンの「スゴさ」の一端を最大限伝えている。
「(頭に)コンドーム、カブってるでしょ?」「カリ太すぎる!」と日村を口撃するのは「マジギライ」のレギュラーであるキャバ嬢のあいなだ。そもそも「マジで嫌い」な人を見抜くという企画にレギュラーでその5人に入るというのはおかしな話だが、その矛盾を抱えてもなお入れたくなるほど、彼女の言語感覚とお笑い脳は抜群だ。(第1回に出演してあまりの面白さにこの企画のレギュラーに抜擢された)。ある意味であいなは『ゴッドタン』を象徴する人物と言っても過言ではない。
 あいなは「逆に日村さんの魅力は?」という質問にこう答えた。
 「いまの日村とお笑い芸人がガチで闘ったら絶対勝てないと思う。しかも相方の設楽さんも帯で頑張って売れて来てる。でも、日村は逆のジャンルでスゲェ上がってきてる。日村は気付いてないけど、お笑い界もみんな、日村のこと宝だと思ってるから。お笑い界の宝だから健康面だけは絶対に気をつけて」
 それは『ゴッドタン』からバナナマンに贈った愛と笑いにあふれたメッセージかのようだった。

これまでの『戦うテレビ』コラム
・障害者バラエティ番組『バリバラ』
・『タイムスクープハンター』
『ミズトアブラハイム』『孫の喜ぶ顔が見たい』
『バカリズムTHE MOVIE』
「田村淳と有吉弘行」
『マニュアル劇団』
『世界は言葉でできている』
『ジョージ・ポットマンの平成史』
『カーネーション』
| コラム | 09:51 | 人間風車 |
お絵描きアイドル二階堂綾乃の『プロレス☆イラストメーカー』更新! 今週はK-1ROMANEXを振り返る!?
皆様1週間ぶりでございます。この1週間のあいだに初めてヒロインをつとめた舞台があったのですが、千秋楽の翌日には録りためたワープロを観て頭がすっかりプロレス色に染まりました。そんな私ですが、じつはプロレスファンになったのはここ3年くらいで、昭和プロレスの知識やプロレス以外の格闘技の知識はほとんどありません。なので今回からは現代プロレス好き女から格闘技オタクに昇格するため、いままで手を出したことのない格闘技動画を見て、感じたことを綴っていこうと思います。

本日の試合:K-1 ROMANEX アレクセイ・イグナショフvs中邑真輔

徐々にプロレスから離れたところに手を出そうと思っているのでまずはこの試合から。
まず驚いたのが、この時中邑選手がいまの私と同じ歳の24歳ということ。うーん、やっぱり昔からかっこいい!24歳にしては老けている気がするけどそこが素敵!!
プロレスと違ってリング全体を使って大きな動きをするわけではなく、またロープブレイクがないためロープ際に追い詰めてじりじりとボコる様は、この後どう展開するんだろうというドキドキと、エロスの意味でのドキドキを感じました。なんでしょう・・・寝技ってえらいセクシーですね。
イグナショフ選手がタップしたとき「なんでこの程度でタップするの?」と不思議に思いましたが、試しに自分で自分にギロチンチョークの様に首を押さえてみたら・・・無理無理無理無理!ちょっと押さえただけで聞いたことない声で咳が出て驚きました(笑)。あんがい人って簡単に殺せてしまいそうですね。
勝利者コメントでの「今日の試合のテーマは、笑顔でした!」には、もうキュンキュンしちゃいます!先日、この当時から中邑選手を知っていた方とお話をしたところ、「いまの中邑はいったいどうしたんだ」と言っていましたが、その理由がわかりました。私は今の中邑選手も大好きですけどね。
まとめ:爽やかでもクネクネしてても真様はかっこいい


(文とイラスト/二階堂綾乃)


| コラム | 15:37 | 人間風車 |
「当事者の時代/佐々木俊尚」■笹原圭一の『月曜日は夢の書評』

新宿のゴールデン街に、よく足を運ぶ串カツ屋さんがあり、
そこで「金魚」という鷹の爪と紫蘇が入った辛めのチューハイ(水槽で金魚が泳いでいるように見えるため)をしこたま飲んだところ、持病の群発性頭痛が再発して、その痛みに悩まされている笹原です。あー憂鬱。

群発性頭痛の発症のメカニズムはまだ解明されていないそうなのですが、痛みが始まると一ヶ月くらいの期間、目の奥が抉られるような痛みが何度もやってきます。
別名「自殺頭痛」とも言われるほど痛いのです。このネーミングはどうかと思いますが、とにかく痛みで何も手につかなくなり、小股の切れ上がった美女が通り過ぎようとも反応する気も、コンプガチャしてレアカードを集めようという気もおきません。

そんな痛みを押して、この書評を書いている私は、眼球を抉られようと戦う夏侯惇(かこうとん)と言っていいでしょう。

というわけで、早速今週の本を紹介しましょう。



本作はつい最近、光文社新書から発売されたばかりの新書です。まぁ、新書と言えば、手に取り易いイメージがあろうかと思います。
「スタバではグランデを買え」とか「人は見た目が9割」とか「若者はなぜ3年で辞めるのか」といったキャッチーなタイトルが思い浮かぶはずです。とりわけ「なぜ....か?」形式のタイトルは、新書で本当に良く見かけます。誰かが「新書のタイトルはなぜ『なぜ...か』を使うのか」という本を書いても良いくらいです。
しかしながら本作は新書にも関わらず460ページ以上もあり、タイトルも読者に向かって人差し指を突き指しているかのような熱さを感じます。この本の「厚さ」と、タイトルの「熱さ」が影響をしているのか、あまり売り上げは芳しくないよう(作者ご本人がツイッターでもつぶやかれています)。ズバリ言ってDropkickのサイトで取り上げても、援護射撃になるどころか、足を引っ張る可能性もありますが、そのあたりは担当のジャン斉藤が責任を取ってくれる筈です。

昨今の新書の風潮から察するに、本のタイトルも内容も、できるだけキャッチーにして手に取り易く、よりリーダブルなものが好まれるのでしょう。ファーストフードにはファーストフードの利便性があるので、そのことを否定する気はありませんが、たまにはシェフが気合いを入れて作った渾身の一皿に向き合うのも悪くありません。本作はまさに入魂の一冊と言っていいでしょう。

作者の佐々木氏は元・毎日新聞の記者にして、現在は作家&ジャーナリスト。ネットメディアの第一人者の方なので、本コラムを読んでいる変態のなかにもツイッターでフォローをされている方も多いはずです。もし未フォローの方がいたら是非フォローしてみてください。毎朝8時には、ネット上のニュースや出来事、果ては個人のブログに至るまで多岐に渡った事象をピックアップして紹介してくれているので、それを追うだけでも朝の良い習慣になるはず。少なくともスポーツ新聞の記事を何の検証もせずに垂れ流している朝のワイドショーを観るよりも、自分の頭で考えるクセがつくのではと思います。


では本の紹介をして行きましょう。本作の内容はいわゆる「メディア論」です。ですが、いわゆる学術的なお話ではなく、もっと我々にとって身近な問題としてメディアを論考した内容です。もっと言えば、作者が提示しているのはある種の「日本人論」と言えるかもしれません。では、なぜにメディアについて語る言葉が、日本人を語る言葉になるのでしょうか。はい、これは非常に明瞭に説明できます。なぜなら我々は、メディアに囲まれて、もはや逃れられない程緻密なその空間のなかで暮らしているからです。テレビ、新聞、ラジオ、雑誌だけでなく、個々人が関わる大小の共同体において交わされる言葉も含め、メディアは我々自身の姿と言ってもいいはずです。だからメディアについて語るときに、それはそのまま我々について語る言葉となるわけです。

例えば、ネット上でもよく見かける言葉に「マスゴミ」という言葉があります。偉そうに能書きを垂れる新聞や、低俗な番組を流すテレビを「昨今のマスコミは腐ってる。あんなのはマスゴミだ」と一刀両断するのは気持ちいいでしょう。巨大なメディアに対して張本勲ばりに「喝!」と言えば、なんだか自分が強く、そして偉くなったような気すらするかもしれません。前段で私も「スポーツ新聞の記事を何の検証もせずに垂れ流している朝のテレビ」と書きましたが、これもまた「マスゴミ」的物言いと同じなのかもしれません。
でも、こうした我々が口にする紋切り型のメディア批判って、我々が嫌悪感を抱くメディアの言葉や振る舞いとどう違うのでしょうか。
「政治の腐敗が止まりません。政治家たちは、一体この国をどうしようとしているのでしょうか。次はお天気です」という、ニュースキャスターの通り一辺倒な言い回しとどこが違うのでしょうか。
メディアへの批判自体はときに有益であることは言を俟ちませんが、ときに人ごとのように、そして高みから指弾するとき、少なくともその批判する言葉自体は、メディアのなかで機械的に使われている言葉と同じであることと、メディアへの批判は我々自身の批判となって戻ってくることを心に留めておいた方が良いような気がします。
頭が痛いので気の利いた冗談も書けず、今回は真面目だけで突き進むコラムになりますが、これこそが私の真の姿です。

では、本作の具体的な内容です。あとがきから引用すると分かり易いと思います。

私は巷間言われているような「新聞記者の質が落ちた」「メディアが劣化した」というような論には与しない。そんな論はしょせんは「今どきの若い者は」論の延長でしかないからだ。
そのような情緒論ではなく、今この国のメディア言論がなぜ岐路に立たされているのかを、よりロジカルに分析できないだろうか----そういう問題意識がスタート地点にあった。つまりは「劣化論」ではなく、マスメディア言論が2000年代以降の時代状況に追いつけなくなってしまっていることを、構造的に解き明かそうと考えたのである。

作者は構造的に解き明かすにあたって、自身の記者時代の経験をはじめ(これが非常に面白い。これだけで一本別作品を書いて欲しいくらい)、戦後から1960年代、70年代に至る言論状況の推移を繙き、「マイノリティ憑依」という言葉を紡き出します。

これもまた、帯の言葉から引用しましょう。
いつから日本人の言論は、当事者性を失い、弱者や被害者の気持ちを勝手に代弁する〈マイノリティ憑依〉に陥ってしまったのか...

1960年代後半から70年代にかけては、ベトナム戦争や学生運動が盛んだった時期です。それまで戦争の被害者であると考えていた日本人が、一方で加害者でもあるという意識を持ったときに、マイノリティ憑依することで、その相反する感情を共存させるようになったとのこと(駆け足で書いてますが、このあたりの言論の推移は、もっと仔細に書かれています)。
そしてマイノリティ憑依とは、ざっくり書けば弱者や被害者の立場から言葉を発する、ということです。

「ん?なぜ弱者や被害者の立場を慮っちゃダメなの?」
と思われた方、それは正しい。正しいのですが、弱者や被害者の立場から発せられた言葉は、反論無用の、そして無敵の言葉となることを考慮しておかなくてはなりません。こうした言葉が強力なのは、その言葉を発する側に立つ人が「正義」であることを信じ込んでいるからでしょう。正義がある、なしではなく、正義があると信じ込んでいるからです。人は正義の側に立っているときよりも、正義の側にいると思い込んでいるときの方が、発する言葉が先鋭になり、無慈悲になるような気がします(匿名のネットは特に顕著です)。
以前読んだ小説の一節に、こんな言葉があったことを思い出します(ちょっとうろ覚えですが、こんな言葉だったはず)。
「酒に酔い、歌に酔い、女に酔う。でも一番酔えるのは正義だ」

では、弱者や被害者の立場を思いやり、一方でそうした立場に絡めとられない(マイノリティに憑依していない)立ち位置とは一体いかなるものなのでしょうか。それはぜひ、本作を読んで考えてみてください。読めば明快な答えが得られるはずです...と言いたいところですが、そうではありません。きっと思考の渦のなかで立ち尽くしてしまうはずです。
なぜなら我々は、当人の痛みを想像によってしか思い計れないからです。だから当然そこには限界があるし、逆説的には無限に同化することもできます。震災のときに顕著になりましたが、想像力の限界を素直に受け入れる人は「今、自分のできることをしよう」となり、無限に同化する人は底なしの悲しみに沈み、その悲しみが反転すると「被災した人たちの気持ちを考えろ」という舌鋒鋭い言葉となって現れていたような気がします。
そこから付随していた自粛や反自粛の動きは、「被災地の方々のことを慮る」という同根にして、別の実を成しているように思えました。自粛派と反自粛派が相容れなかったのは、それぞれ「慮る」という数値では表せないモノを依拠していることに加えて、畢竟「お前に俺の気持ちが分かるのか」という、想像力の話しに帰結していたからでしょう。

想像すること、想像力って、一体なんなんでしょうか。想像によって、我々はどこまで弱者や被害者に近づくことができ、そしてどこまでしか近づくことができないのでしょうか。と、本作を手にして、思春期の高校生のように考えてみましょう。

| - | 17:02 | 人間風車 |
桜庭引退? “カリスマのフィナーレ”を考える。/橋本宗洋の『格闘技酔拳批評』
桜庭引退? 相手は青木!? “カリスマのフィナーレ”を考える。


 数日前、ネット上であるニュースが大きな話題を読んだ。海外のサイトが報じたもので、次回のDREAMが桜庭和志の引退興行となり、最後の相手として青木真也と対戦するというのだ。
 あらかじめ書いておくが、真偽のほどはわからない。何かしら“元になった話”はあるんだと思うが、そもそもDREAMの次回大会がいつ行なわれるかもわからないのだ。もちろん、内々では開催日が決まっていて、極秘にマッチメイクが進んでいるという可能性もあるが……。
 とりあえず、本当にやるかどうかは正式なアナウンスを待つとして、いろいろ考えさせられるニュースだったのは間違いない。あらためて問いかけられた、とでも言えばいいだろうか。つまり「桜庭引退、相手は青木」というニュース(噂)を聞いて、自分が(ファンそれぞれが)どう感じたかということだ。
 僕自身のことを書くと、最初は「なるほど、青木か。その手は確かにあるな」と思った。これまで日本の格闘技界を支えてきた男と、いま、そしてこれから支える男。“日本が世界に誇るファイター”としての伝承の儀式。そう考えると、しっくりくるものがある。いまのDREAMにできるマッチメイクとして、究極のものかもしれない。
 ただ、桜庭と青木ではキャラクターというかイメージというか、選手としてのスタンスが大きく違う。桜庭は言うまでもなく“ファンタジスタ”だ。結果を残してきただけでなく、総合格闘技(バーリ・トゥード)という野蛮に見られがちだったジャンルに“楽しさ”や“華麗さ”を持ち込んだ。一方の青木は徹頭徹尾の勝負師。よくも悪くも“ファン目線”がない。
 そんな二人が“伝承の儀式”をやれるものなのか。桜庭が魂を受け継がせるべきは青木なのか。青木が受け継ぐべきは桜庭の魂なのか。あるいは、その試合が“青木のファンタジスタ化”をうながすものになり、青木が今後“楽しいMMA”でファンを沸かせる存在になるということなのか。
 いや、まあいまの段階でそこまで考える必要はないかもしれない。大前提として考えなきゃいけないのは、桜庭に引退する気があるのかどうかだ。確かに、年齢を考えても最近の試合ぶりを見ても、残された現役生活がそう長くないだろうことは想像できる。ただ、引退は(周囲の勧めも含めて)本人が決断するものであって“引退興行ありき”ではない。もちろん本人がいくら「やる」といっても肉体的に続けさせてはいけない場合もあるのだが、それも含めてデリケートな問題だ。だからこの話題は、あくまで“もし仮に、本当に桜庭が引退を決意したとして”の話なのである。
 まして桜庭なのである。そのカリスマとしての存在感は、コアなファンからの思い入れも含めれば魔裟斗以上だ。その引退は誰よりもデリケートで難しい。
 ベラトールでの試合後にMMA引退を表明した郷野聡寛のように、あくまで勝負論の世界で、すなわち潰し合いの中で勝負の場から去るのがいいのか。じゃあ誰とやればいいんだろう。ザロムスキーとのリマッチ? マッハ? う〜ん。
 じゃあ“ストーリー重視”か。それはそれで相手が思いつかない。過去に闘ってきた相手でもいいが、それだとエキシビションだろう。“試合”となると何かしら“先”につながるものであってほしい。やはり、勝負論とストーリーのギリギリかつ現実的な折衷案として、ふさわしいのは青木ということになるのか。
 と、ここでまた考える。桜庭が引退するとなったら“ギリギリ”だの“現実問題”だの言ってちゃいけないんじゃないか。状況に関係なく、できうる限り最高の引退試合、引退セレモニーにしなきゃならない(いや、だから繰り返すが本当に引退するとして、の話だ)。
 いま日本がどうとか、DREAMがどうとか、そういうこと関係なしでいきたいじゃないか。桜庭は日本が生んだカリスマだ。でも世界中の格闘家・格闘技ファンにとってのカリスマでもある。あとから振り返ったときに“当時、日本の格闘技界は……”なんて注釈つきになるのはイヤだなぁと思うのだ。
 まあ、いま“最高の舞台”はUFCってことになる。そこには“いま”を生き、かつストーリー性もあるヴァンダレイ・シウバがいる。考えてみたら、桜庭の出世試合はUFC-Jだ。キャッチウェイトでシウバと闘い、引退式。金網に始まり金網で終わる。それがUFC日本大会ならなおいい。なんて、デイナ・ホワイトもロレンゾ・フェティータも桜庭の大ファンだからホントにやりかねないなと思ったりもして……。いやまあ完全な妄想ですが。
 本当に桜庭が引退するかどうかは分からない。そこで青木と対戦するのかどうかもわからない。ただ言えるのは、桜庭が引退するならどういうシチュエーションがベストなのかを、本当に真剣に考えなきゃいけないってことだ。
(文・橋本宗洋 @Hassy0924) 
 
| コラム | 09:01 | 人間風車 |
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